ウエブ架線

織田レモソが書いたweb小説おきばです

サクラフェイカー / 15

 

桜坂周辺に住みたいけど、車がないと不便な気がしています。 

 

15:いのり

 

 時刻は午後22時40分を過ぎた。俺と彼女は今までになく共にしていた。いつもこの時間であれば、どちらかの家に言っていたはずだった。しかし今日は違った。テーマパークを出てからも、どこかこのまま帰りたくない、そんな雰囲気が二人の間に漂っていた。

 バスは都市高を降りて街の中心地へと進んだ。そして先ほど見下ろしていた光の中に俺たちは降り立った。いつも賑やかだった夜の街は、活気に満ち溢れてはいるものの、行き交う人は目に見えて少なく、喧騒がありながらもしんとしていた。

 俺と彼女は自然と手をつないで歩いていた。初めてのことだった。彼女の左手は冷んやりとしていて、俺はすごく印象に残った。会話ははずみ、終始笑いがおきていた。繋いだ手は楽しく揺れ動いていた。

 しばらく当てもなく街を彷徨っていたが、さすがに23時を超えたあたりで帰ろうということになった。今日は珍しく、彼女は一人で家に帰ると言った。

「別に来てくれてもいいんですよ。むしろか弱い女の子を一人で帰らせるなんていう男の風上におけないようなことを思えるならばどうぞって感じです」
「帰りましょう、一緒に」
「ふふっ。朝倉さんもとうとう私の虜になっちゃったみたいですね」
「これはわがままじゃありません」

 俺は不真面目に答えると、彼女はいたずらっぽく笑った。

 市営地下鉄八隈線桜坂駅を降りると、閑散としたロータリーが青々しく照らされていた。吐き出された乗客は三三五五散っていき、辺りは俺と彼女だけになった。

 彼女と手をつないで歩いた。今度はうってかわって会話をしなくなってしまった。言葉が出なかった。しかし不思議と苦痛ではなかった。確かめるような強さで握り返してくる彼女の手がとても心地よかった。

 児童公園を通るのが、彼女の家の最短ルートである。コンパクトなアスレチックとブランコに、ログハウス調の休憩スペースがあって、ぼんやりと街灯が夜を照らしていた。端の方には桜の木もあり、その存在感は夜の暗闇でさえ、はっきりと感じとれた。

 だがしかし、感じとれたのは桜の木だけではなかった。

 俺と彼女が歩いていると、目の前に男が現れた。

 俺は目を細めた。

 どうやらスーツを着ている。明らかに俺と対面していた。

 俺は体に緊張が走るのを感じた。

 全身の神経がざわめき、脳内で警報が鳴り響いた。

 絡まれる。俺は彼女の手を強く握った。

 漆黒のスーツに身をまとった男は、こちらに近づいてくると三人に分裂した。俺は目を疑った。

 右手のブランコの方を見ると、同じ男どもがじりじりと近づいてきていた。

 左手を見ても男。

 振り返っても男が来ていた。

 俺は固唾を飲み込んだ。囲まれてしまった。

 髪の毛を逆立てる勢いで目に力を入れた。

 何の用だ。

 男どもは一定の距離まで近づくと立ち止まり、俺と彼女を見ていた。俺は一体どの男に照準を合わせればいいのかと視線を彷徨わせていた。

 と、街灯に一番照らされている男が言った。

 「任務は終わりました。時間です」

 機械音声のような声色だった。あるいは獣の吹き替えの版のような声。低音でしか構成されていないような、耳に響く嫌な音だった。ていうか、任務?

 俺はその時、右手から温もりが消えるのを感じた。

 彼女が手を離し、男の目の前に立っていた。頭一つ分くらいの身長差。俺はその彼女の背中を、あっけらかんとして見ていた。

「そう。では行きましょうか」

 彼女はその一言だけ言うと、何も言わずに歩き出した。俺は思わず口を開いた。

「ちょちょちょっと待ってください。どういうことですか」
「…………」

 彼女は立ち止まった。しかし背を向けたまま何も言わない。

「こ、この人たちは一体……、ていうか任務? え?」
「…………」
「何か言ってくださいよ、桜庭さん。また何か俺をからかおうとしてるんですか?」
「朝倉さん」

 彼女はいつもと同じような声で俺に言った。しかし顔は見せてくれない。

「私のことは、どうか忘れてください。今まで、全部ウソです。何もかも。言葉、仕草、行動に至るまで全て。全部フェイクです。今まで、どうもありがとうございました。さようなら」

 俺は思わず笑ってしまった。今まで、全部ウソ? それ面白い冗談だ。それこそウソだ。嘘っぱちだ。そんなことあるはずがない。

「意味わからないですよ。桜庭さん」

 近づこうとした俺を、男どもが割って入った。押しのけようとしてビクともせず、俺は全力でもがいた。

 案の定男どもに抑えられ、何もできなかった。地面に漫画の入った紙袋が落ちた。

「いやちょっと。ねえ。桜庭さん。一体どういうことなんですか」

 彼女は聞いてか聞かずか、無視してまた歩き始めた。

 周りの男どもも彼女についていく。

 俺は未だに捕まったままだった。

 納得がいかなかった。

「ちゃんと答えてくださいよ。これは一体何ですか。何ですか任務って」
「一ついい方法を教えましょう」

 全く期待していない言葉が帰ってきた。彼女は相変わらずこっちを向いてくれない。

「そこにあるサクラの木、それを思い切り蹴ってください。そうしたら一切合切、忘れます。記憶を消す、いい方法です」
「サクラの木を蹴るって……」
「では、さようなら」

 彼女はまた歩き始めた。俺はこれ以上どうすることも出来ないと思った。彼女が振り向かないかぎり、俺が抵抗する理由などない気がしたのだ。俺は彼女が振り向くのを待ったが、振り向いてくれなかった。力がだんだん抜けていった。

 そして力なく笑った。忘れる? サクラの木を蹴ったら忘れるだと? そんな簡単にあなたのことが忘れられるというのか。散々人を振り回し誘惑し魅惑し魅了して、俺の心をこれだけサクラ色に染め上げておいて、今更何を言っているのやら。

「桜庭さん」

 俺は懲りずに彼女に向かって叫んだ。もう何がなんだか、自分でもよくわかっていなかった。

「サクラの木を蹴っても記憶なんて消えません。だから、あなたが蹴ってください桜庭さん。あなたが俺に一発、蹴りをいれてください。そうしたら忘れられます」

 大声で彼女に投げかけた。彼女はかすかにこちらを向いた。ほんの数センチ、こちらを見たような気がした。

 と同時に男の一人が俺のみぞおちに一発、蹴りをいれやがった。

「おめえじゃねえよっ……!」

 俺は声にならない嗚咽を吐き出した。痛いな畜生。俺は桜庭さんに蹴りを頼んだんだ。何でお前が蹴るんだよ。

 尋常なく痛かった。生まれてこの方一度も蹴りなんてくらったことがなかったので、しばらく地面でうずくまることしか出来なかった。俺を抑えていた男どもも足早に遠のいてゆき、俺は心の中ですがすがしい敗北の鐘の音を聞いた。

 しかし、目の前に紙袋が落ちていた。それは紛れもなく、彼女のために買った、あの漫画本だった。

 俺は歯を食いしばってそれを鷲掴みにし、よろよろと立ち上がると一歩一歩前に進み始めた。

「さ……さくら、ば……さあん」

 やけくそで声を振り絞った。忘れ物があるぞと言わんばかりに、漫画本を大きく振った。

「プレゼント」

 彼女の元に俺はそれを投げてよこした。だが力が入らずに情けない放物線でもって、全然違うところにそれは落ちた。なんだか自分の恋愛を描いているように見えて、俺は鼻で笑った。

 俺は拾ってくれることを祈りつつ、彼女に背を向けた。そしてお腹を抑えながら、とぼとぼと家に帰った。

 彼女とはそれきり、二度と会うことはなかった。


つづく