ウエブ架線

織田レモソが書いたweb小説おきばです

サクラフェイカー / 08

サクラフェイカー前半戦、これで終わりです。次回から後半戦です。

 

8:エンカウント

 

 情報処理の講義は教授がまるで駄目だった。滑舌が悪くて何を言ってるかわからない上に、饒舌でつれづれなるままに喋るから聞く方はただただこのねっとりとした時間を耐え忍ぶこと以外、対処法がなかった。必修科目で出欠もきちんととるのでサボるにサボれない。しかも初っ端の一限目なので嘆きは絶えない。今日も今日とて友人の波多目と共に、あと20分後に開始する講義について憂いていた。

「今からまたあの90分間を味わうのか。そう思うと、心が沈む」
「仕方ないよ。諦めて情報の申し子になるべく、ブラインドタッチの鬼にでもなればいい」
「朝倉、なんで君はあの授業を一睡もせずに乗り切れるんだ? 普通の人間じゃ耐えられないぞ。もしかして、お前は人間じゃないのか。なんか受信してるのか」
「んなわけ……ないわけでもない」

 俺は即答しようと口を開いたが、一度考えて言い淀んだ。変な電波を受信しているのは、否定できないかもしれない。波多目はニヤニヤしながら身を乗り出した。

「なんだなんだ、とうとう虫でも湧いたのか」

 波多目は頭を指差して、人差し指で円を描いた。

「虫は湧いてないが、虫になってるかもしれない。あの娘にとっては」
「もしかして、例の……桜庭って人?」

 俺は頷いた。波多目はすべてわかったかのような素振りで目を細めた。

「ああなるほど。言いたいことはわかる。おめでとう」
「阿呆。そんな度胸はない」

 何を勘違いしているのやら。

「女子高生だもんな。って関係ないか」
「でも、というかなんというか、年下感はあったよ」
「意味深な発言だな」
「一緒に寝たからな」
「寝たのかよ」

 波多目は吐き捨てるように言った。

「でも何も起こらなかった」
「あのなあ、若い男女における寝床のレゾンデートルは一つしかないだろう」
「なーにがレゾンデートルだ。寝床は寝るためにあるんだ、この色欲男」
「迷惑メールにまで手をだすお前に言われたくない」

 波多目はやれやれと首をふって、ペンケースとノートを取り出した。

「いや聞いてくれ。あの夜はそのまま家に帰るつもりだったんだ」
「で」
「でも、彼女が急に泣き出してさ。それで仕方なく家にあがったら、騙されやすいですねって。俺騙されたんだよ。嘘泣きだったんだ」
「お前はもう騙されている」
「モノマネはいい」
「で、どうなったんだよ」
「彼女の部屋に通されて、ベッドに座れって言うから拒否して。そうしたら彼女、座らなかったら脱ぐとか言ってボタン外し始めたから仕方なく座ったんだ」
「それから結局」
「違う」
「じれったいな」
「座ったらいきなり胸突かれて思いっきりベッドの端に頭打った。悶えてたら、彼女けらけら笑ってた」
「鬼畜じゃないか。悪くない」
「あの時は涙でた。こっちは本泣きだ」
「なんでいきなり胸突いてきたんだ彼女は」
「寝かせるためだってさ。全く、やり方が雑すぎるだろ」
「それで?」
「で、寝たんだよ」
「風呂も入らずに? クサイ奴らだな」
「入りたかったけどあの状況じゃ入れないだろ」
「借りればいい」
「着替えがない」
「同じの着ろよ」
「嫌だ気持ち悪い」
「汗臭いまま寝る方がよっぽど気持ち悪いよ」
「寝るつもりはなかったんだ。彼女が無理矢理」
「お前は本当に彼女の言いなりだな。もっと抵抗しろよ、もっと怒れよ」
「でも正直、ああやって振り回されるのは、嫌いじゃないんだよね」
「でた惚気」
「こりゃ失敬」

 しゃべっているうちにだんだんと教室に人が増え出してきた。見知った人らもちらほら現れ、互いに挨拶を交わした。

「彼女とはずっと連絡とってるのか」
「ひたすらメールしてる」
「メールか」
「300通」
「さ、さんびゃく?」

 波多目は素っ頓狂な声を出した。

「お前らってやつは……」
「いや俺も、さすがにしんどかった」
「300って。それじゃ履歴とか恐ろしいことになってるんじゃ……」

 俺は自分の端末を波多目に見せた。波多目は言葉を失った。

「お前ら、末長く幸せに暮らせよ」
「尽力する」

 授業開始まであと5分となった。俺はカバンからオライリーの本と、生協で買った安物のノートパソコンを取り出して起動し態勢を整えた。スマートフォンをマナーモードに切り替えたあと、シャーペンを取り出して無意味に芯を出して、そして戻した。

 ふと嗅ぎ慣れた匂いが横を過ぎていったので、俺は顔を上げた。前の座席に誰かが座った。服装からして女の子だった。はじめは気に留めず学内LANのログインパスワードを打ち込もうとしたが、まもなく二度見をして目を見開いた。脳内に電流が走る。座ったのは桜庭早樹、彼女だった。

 彼女がなんのためらいもなくこの教室に現れたので、周りの学生はイレギュラーな人物の混入に何の疑いも持っていないようだった。波多目も何も言ってこない。これはどうすればいいのだろう。話しかけるべきなのか。彼女の出方を待った方がいいのだろうか。

 と、その時。彼女はふわりとこちらに振り向いた。

「今から何の講義が始まるんですか?」

 彼女は満面の笑みで俺に訊いてきた。その発言に周りの人が怪訝な顔をした。

「な、なんでここにいるんですか?」

 俺は大声になりそうな気持ちを懸命に抑えて言葉を振り絞った。呆れて少し吹き出しそうになった。

「貴方と一秒でも離れていたくないんです。息ができなくなるので」
「冗談でしょう」
「あながち本当です」

 彼女は笑顔の花を咲かせる。俺は辛抱強く質問した。

「学校は?」
「創立記念日でお休みです」
「宿題は?」
「ないです」
「家にいなくても?」
「いいんです」
「…………」

 俺は閉口した。

「朝倉さん」

 わけもなく名前を呼ぶ彼女。それが心の中で溶けていき、たちまち大きな渦を巻いた。原動力が湧き出でてくる。脳みそが白いベールに包まれていく。俺はそれでも無意識に抵抗した。

「今日は普通に講義があるので」
「一緒に受けます」
「…………」

 残りあと2分で授業が始まる。……サボるには遅すぎるか。

「行くなら早くしろ」

 波多目はぽつりとつぶやいた。波多目め、面白半分で言いやがって。

「朝倉さん、こないだ私を泣かせた時、約束しましたよね。一生幸せにするって。だから私……信じてあの夜……朝倉さんに」
「いやいやいやいや」

 一生幸せにするなんて言葉、一言も言っていない。弁解を試みた。しかし気づくと彼女の言葉は、尾びれ背びれを無数につけて教室中を遊泳し、みんな注目をかっさらっていた。彼女には哀れみの目を、俺には責任を果たせという社会の目が向けられていた。

 異様な重圧だった。

 俺は脂汗をしたたらせた。彼女を見、波多目を見、みんなを見、そしてもう一度彼女を見て俺は鉛を飲み込んだ。もうダメだ。赤ん坊万歳。俺はさっき広げたノートパソコンや本をカバンにねじ込み、財布とスマートフォンをポケットにつっこんで颯爽と教室をあとにした。訂正、颯爽感はない。彼女はしてやったりな顔をしてニヤニヤと俺についてきた。これからどうしようかと思い、頭を少し振りながらぽつぽつと歩いた。

 

つづく