ウエブ架線

織田レモソが書いたweb小説おきばです

サクラフェイカー / 07

漂白剤と脅迫罪は韻を踏めます。

 

7:脅迫罪

 

 やたらとナポリタンを推してくるパスタ屋で夕飯をとったあと、いく宛もなかったので仕方なく外に出た。取材を全て終えた彼女は、すっきりした顔で伸びをして大きなため息をついた。お疲れ様ですと俺は言った。彼女は疲れた笑みで、同じ言葉を返してくれた。

「お腹いっぱいで少し眠たいです」

 彼女は妊婦のようにお腹をさすった。

「今日はもうこれで解散しますかね」

 俺は時計を見た。午後七時を回っていた。

「他にいろいろ見て回りましょうよ。今日はほとんど取材ばっかりだったし」
「取材デートってことではなかったんですか?」
「それはそうですけど」

 彼女は一歩一歩意識して、いつもよりも遅く歩いているように見えた。たくさんの人の背中を見送っていきながら、やがて彼女は何も言わなくなり、俺と彼女はただひたすら、街の中を歩いていった。夜の帳は完全に降り、車はヘッドライトをつけて走り、ビルはイルミネーションをまとい、街を彩っていた。オーロラビジョンから知らない音楽が流れていて、春ではなく冬の匂いを感じさせた。

 中心地を抜ける頃、傍らを歩いていた彼女が俺の裾を摘まんで止まった。行き交う人の波を遮ったので、目線の抵抗を浴びた。

「どうしたんですか?」
「特に意味はありません」
「そう、ですか」

 しかし彼女はただ何もせずその場に居続けた。俺は三十秒くらい経ってから頭を掻いた。いよいよ目立ってきたので、俺は商業ビルの入り口へと彼女を移動させた。彼女は黙ってついてきた。

「あの、えっと……」

 俺は妙に緊張しだしていた。
 この空気。もしかして。

「桜庭、さん?」

 彼女は床の一点を見つめながら、何か喋った。口が動いたので何かは話したんだろう。しかし、何と言ったのかわからなかった。俺は彼女の口元に耳を寄せた。彼女が息を吸った。

「まだお時間ありますか?」
「まあ、まだ大丈夫ですけど」
「……です」
「はい?」
「私、まだ帰りたくないんです。どこか連れてってください」

 彼女は男を籠絡するような笑みを浮かべ、上目遣いをしてきた。俺は静かに深呼吸した。心がざわつきはじめる。俺は湧き上がる本能を頑なに抑えた。なるべく紳士的に振る舞うよう努力した。

「もう遅いし、今日は帰ったほうがいいんじゃないですか」

 しかし彼女はただ頭を横に振るだけだった。何回か説得しても同じ反応。俺は少し困った。

 これからどうする。適当な場所で時間を潰すか。しかしそうなると帰る交通手段が狭まってしまう。相手は一介の女子高生だ。遅くなると家族が心配するはず。
指針が決まる感触。

 俺の中で納得がいった。うん、それが妥当だ。適当なところまで送って行ってあげよう。
「ささ、帰りましょう。ね。もし遊び足らないというんなら明日にしましょう。ほら、行きますよ」

 歩き出したが彼女は動かなかった。俺はやむなく彼女の手をとって歩き出した。子供のように意地でも動かない、なんてことはなく、案外しっかりと引っ張られていた。だが、帰りたくないのは本当のようだった。

「朝倉さん」
「何ですか」
「ハンバーガー食べたいです」

 目の前にモスバーガーが見えた。

「さっきお腹いっぱいって言ったじゃないですか」
「実は私、生まれて一度もハンバーガーを食べたことがないんです」
「じゃあ今度食べに行きましょう」

 少し歩くと楽器屋が目に入った。

「朝倉さん」
「何ですか」
「ギターやりたいです」
「楽器を買うお金あるんですか?」
「身体と引き換えに」
「やめてください」

 信号を渡って高架下を抜けると、やたら明るい家電量販店が見えた。

「朝倉さん」
「何ですか」
「私、家電オタクなんです」
「だからと言ってヨドヤバシカメラには入りませんよ」
「割とデジカメ欲しいんですけど」
「それもまた今度にしましょう」

 閑散としたモダンな建築の中に、ソファやローテーブルが展示されていた。

「朝倉さん」
「何ですか」
「将来私たちが結婚した時のために家具を見て回りましょう」
「素敵な提案ですけど、残念ながらもう閉店時間です」

 彼女は手を強く握ってきた。

「もうなんなんですかさっきから。紳士気取らないでください。本当はお持ち帰りしたいくせに」
「ぎくっ」
「ほら本性が出た」
「冗談です」
「本当ですか? それはそれで悲しいです」
「訂正します。半分冗談です」
「半分……」
「お持ち帰るのはまたの機会にでも」
「そうやって目の前のチャンスを逃すと、あとで後悔することになりますよ」
「桜庭さん、俺は貴方と後悔する関係にはなりたくないんです」
「…………」

 彼女は目をそらし、口を尖らせていた。俺は黙っておくことにした。

 若者がたむろする裏路地から電気のついてないビルの連絡路を通って駅へ。彼女は改札のくぐりかたを忘れた、電車の乗り方を忘れたなどのあからさまな嘘をはき続け、結局俺は彼女の最寄り駅までついて行くことになった。市営地下鉄八隈線桜坂駅までここから290円。自宅までの分も加算すると、地味な出費だった。

 今日は一度も家電製品と触れ合っていないから禁断症状がでます、支えがないと歩けませんと彼女は降り立った駅でわめいた。俺は長い息をはいた。必死なわがままは可愛いので付き合うが、このまま彼女の家に向かうのは少しばかり胃が痛かった。

 犯罪軽減のための青色街灯が住宅地の道を照らす。黙って歩き続けいつのまにか手を引かれる側になっていた俺の前に、ようやく、そしてとうとう彼女の家が現れた。電気はついていなかった。

 俺は少し思いを馳せた。普段彼女はここで寝起きし飯を食い、体を洗って勉強して、読書なんかしたりして一日を過ごすのか。実家という雰囲気も、どこか懐かしさを感じさせた。二年前まで自分も実家通いの高校生をやっていたのに、かなり遠くの記憶のように思えた。彼女は鍵を開け、玄関の明かりをつけた。

「朝倉さん」
「何ですか」

 俺は「送ってくれて、ありがとうございます」という嬉しい返事を待っていた。

「どうぞ」

 どうぞ? 彼女は親切にドアを開けて待ってくれている。俺は立ち尽くした。

「え? 入るん、ですか?」
「はいもちろん」
「もちろんって……。俺はもう帰りますけど」
「この後に及んでまだそんなことを。大丈夫ですよ。家、一人なんで。ゆっくりお茶でも飲んで行ってくださいな」

 一人? どうりで真っ暗だったわけだ。

「でもあの、もう遅いし」
「朝倉さん」

 彼女は突然、りんご飴のようなほっぺをしながら必死に目を潤ませてきた。唇を噛み締めわずかに体を震わせた。

 俺は混乱し閉口した。いきなりどうしたというのだ。さっきまであんなにいたずらっぽく接していたじゃないか。何を考えている。何をした。彼女は鼻をすすった。うううと湿った唸りが漏れ出し本格的に泣く前兆を見せる。思わず駆け寄りたくなった。しかし、もう俺は帰るぞ。次を逃すと一時間近く待たされるのだ。彼女にかまっている余裕はない。

 目をそらせば良かったのだが、できなかった。じわじわと決意が溶け出していく。ここで帰るのもなんだか可哀想な気がした。それに彼女は泣きかけている。もしかしたら突発的悲観症候群とかなんとかが発症して、涙が止まらなくなってしまうのではないか。そんな美少女ゲームを俺はやったことがある。これはその現実バージョンか。そもそも考え方を変えれば、家に女の子一人というのも危険ではないのか。誘惑するもう一人の自分は雄弁だった。

「……」

 ええい、最悪タクシーで帰ったれ。俺は玄関先の扉を開けて、ゆっくりと彼女の家へと吸い込まれていった。すれ違い、彼女と目が合った。潤んだ瞳に笑顔がこぼれた。

「騙されやすいんですね」

 途端に俺の罪悪感は跡形もなく溶け落ちた。一種の脅迫だなと、俺は思った。

 

つづく