ウエブ架線

織田レモソが書いたweb小説おきばです

サクラフェイカー / 03

予告しておきますが、このサクラフェイカー、16話まであります。

 

3:サクラフェイカー

 

 後日、午後二時。俺は縫い目がアクセントの濃紺ジーンズにマリン系の白地Tシャツ、こげ茶の薄いジャケットとスニーカーという出で立ちで待ち合わせ場所に急いだ。講義が少し延長して、地下鉄に乗り遅れてしまったのだ。

 待ち合わせ場所はかなり局地的だった。SLSという商業ビルの7Fレストランフロア、カフェスマイルの禁煙席、窓際右から3番目。そこで待っているらしい。

 俺は今、ものすごく虚しいことをしているんじゃないかと思いつつ、指定の場所についた。
「いらっしゃいませ」

店員が声をかける。

「お一人様ですか?」

「あ、ちょっとすみません」

 案内するのをいったん待ってもらって、俺は恐る恐る首をのばし彼女の姿を確認した。窓際、右から、3番目……。見ると、そこには女の子が座っていた。座ってずっとスマートフォンをいじくっている。

 本当に居た。マジで居た。

 店員に待ち合わせです、と伝えて俺はすぐさま彼女の席へと向かった。
「桜庭早樹、さん?」

 俺が声をかけると、桜庭早樹は顔をあげて三秒ほど俺を一瞥してから口元をほころばせ、はじめましてと言った。
「来なかったら、寂しさのあまり死んじゃうところでしたよ。朝倉さん」

 第一印象は悪くない。笑顔が可愛い。でもメンヘラを感じさせる発言があったぞ。
「すみません、講義が長引いちゃって」
「講義?」
「はい、講義を受けていたんです」
「あ、受けていたんですね。一瞬、講義をなさってたのかと思っちゃいました」
「そんなまさか」

 互いに笑った。

 腰を落ち着けるとウェイターが水を運んできたので、アイスコーヒーを注文した。
「まさか本当に来てくださるとは思ってもみませんでした」

 彼女はなんだかとても嬉しそうだった。健康的な唇から笑みがこぼれる。
「寂しくて松尾芭蕉の匂いがすると聞いたので」
「大変なんですよね。芭蕉の匂い、なかなか取れなくて」
「それはそれはお気の毒に」
「まったくです」

 常に笑顔を絶やさないでいる。良い印象だ。今のところ、全然普通の人に見える。挨拶をしたら返し、物を落としたら拾ってあげ、肩がぶつかったら謝るくらいの文字通り、一般人。とても迷惑メールの相手とは思えない。むしろ、迷惑メールだったのかを疑う。何かの間違いで俺のところに送られてきたのではないか。
「それにしても、迷惑メールの文章を真に受けるなんて、本当ならこんなことをしても虚しくなるだけですよ」

 ああ、やっぱり迷惑メールだったんだ。
「ええ、それは百も承知でした」

 彼女が欲しすぎて、魔が差しただけだ。普段はそんなことはしない。
「普通ならば、会社のおじさんとメールを交わすことになっていたはずです。もしくはコンピューターと。アドレスを抜かれて同業者の間で取引されて、大量のサクラメールが朝倉さんの受信箱を、徐々に蝕んでいってたでしょう」
「そうですね」
「でも安心してください。私は本質的なサクラフェイカーじゃありません。私は本当に、出会いを求めてあのメールを送ったのですから」
ものは言いようだな。
「そうだったんですか」
「朝倉さんとなら、なんとなくいい関係を築いていけそうな気がします」

 桜庭早樹は、ティーカップに口をつけた。指が二本くらいしか入らない小さなカップの脇に、空いているガムシロップが6つ転がっていて、1mmほど俺は戦慄した。
「桜庭さんは、どうしてあんなメールを送ったんですか?」
「どうしてって……。貴方に出会うためですよ」
「いや、それは結果論でしょう。そもそも出会いを求めているのなら、迷惑メールの体裁である必要がない。普通にメールを送っていけばいい。ううん、そんなことをする必要はない。SNSを活用すればもっと効率的に出会えたのでは?」
「どっちみち、変わりはないです。どうせ、ダイレクトにメールを送ってもそっぽを向かれるだけですし」

 だから迷惑メールを装い送信するって、まったく意図が見えてこない。
「まあ、ぶっちゃけると、迷惑メールじゃないんですけどね。予め、ひっかかりそうな人にあたりをつけて送ったんです」
「どうやってあたりを?」

 彼女はにっこりと笑うだけだった。はぐらかされた。
「朝倉さんの方こそ、何故迷惑メールなんかに返信して、しかも実際に会おうと思ったんですか?」
「彼女が欲しかった。ただそれだけです」
「だからと言って、何も迷惑メールから出会いを求めずとも」

 確かに。

「まぁ今回は、半分冗談のつもりだったので」
「というと?」
「いやその、女の子とメールのやりとりでもできたらいいかなとか、思ってまして」

 俺は笑いながら頭を掻いた。桜庭早樹も笑顔になった。

「ははあ、なるほど。よっぽど女に飢えていたのですね」
「お恥ずかしい限りです」
「でも迷惑メールの99%は男なんで、あまりいいものではないですよ。今度からは余所見をせず、積極的に私にメールしてきてください。お相手します」
「それはどうも」
まもなく注文したアイスコーヒーがやってきて、俺はそれを一口飲んだ。
「美味しいですか?」

 彼女が訊ねてきた。

「普通です」
「確かめます」

 そう言うと彼女は俺のアイスコーヒーを飲んだ。何のためらいもなく、ストローに口をつけた。
「苦いです」

 感想を述べた後、彼女はおもむろにカバンからガムシロップを6つ取り出して俺のアイスコーヒーに混ぜ込んだ。心の中で苦笑した。
「これで大丈夫です」

 彼女はにこやかに返してきた。俺はそれを飲んでむっとしそうになるのを堪えた。無理やり笑顔に変えて、ありがとうございますと心にもない返事をした。何をやっているのだろうと強く思った。

 もしこれが、あまり可愛くない女の子からされていたとしよう。クラスで、職場で、あまり好みじゃない女の子を想像して欲しい。そんな女の子からこんなことをされたら、適当なことを言ってこの場を切り上げるだろう。もしかしたら、怒るかもしれない。そもそも確認した時点で引き返すかもしれない。どっちみち、俺は自分の行動に後悔していただろう。

 しかし、彼女には揺るぎなくどうしようもない現実があった。

 めちゃくちゃ可愛いのだ。

 二重まぶたに長い睫毛、白く黒く透き通った眼球、整った眉毛。左眉にはホクロがある。頬の色や肌の艶は触れてみたくなる白色で、きゅっと結ばれているみずみずしい唇は健康的なサクラ色だった。

 今、口元に張り付いた髪の毛を彼女の指が払った。毛先は舞うように揺れ動き、微かな芳香を感じた。漆黒の髪で覆われた彼女の頭は小さな毬のようで、引き寄せて撫でたい衝動にかられる。細くたおやかな首筋から視線を体に移せば、洋服の上からでもその発展途上の双房が確認できて、願わくばこの両手で。
「朝倉さん」
「は」

 途端に現実に引き戻された。思わず、はっと答えてしまった。
「私は貴方に興味があります。とりあえず、朝倉さんのことをもっと知りたいです。これからお時間はありますか?」
「あ、ありますよ」
「では行きましょう」
「えっ?」

 彼女は置いていたカバンを肩にかけると、ブーツの音と共にゆるりと店を出た。伝票は机の上に置きっ放しだった。これは俺が払えということなのか。しばし、固まっている自分がいた。

 視界に俺らのことを怪しむウェイターが写ったことでようやく気を取り戻した。俺は飲みかけのアイスコーヒーを一気に飲み干すと手の甲で口を拭い、伝票を持って会計を済ませた。彼女はエレベーターで俺を待っていた。俺は急いで彼女の元へと向かった。

 

つづく